セロトニンナースじぇにふぁーのブログへようこそ!精神看護との出会い①
ハローカップ!今はタイ・バンコク・お気に入りのスターバックスから書いてます。
前回の続きです。なぜじぇにふぁーが精神看護に興味を持ったか。
精神看護の世界に興味を持ったのは24歳の時。
ミュージカル劇団を辞めて、明日就職しよう!と朝日新聞で見つけた専門学校の受付の仕事をしていた。
そこは専門学校。
歴史のある美術系・文学系のアートな学校でした。
だから教えている先生も、詩人、ダンサー、小説家、彫刻家、とさまざま。
で、生徒もふわふわしてて、自由な感じで楽しそう。
ちょっと日本の普通のまぢめ学校とは一線を画している。
働き始めて半年くらいたつと、中には私の名前を覚えてくれて
暇になると遊びに来てくれる子が何人かいた。
話しかけてくれる子、廊下から見てる子、手紙をくれる子、いろいろいたけれど
みんな素直でとてもかわいかった。
で、あるとき、その中の一人が学校に来なくなった。
心を病んだらしい。
他にも何かのきっかけで辛くなって学校に来なくなった子が数人いた。
絵をかいたり、演劇をやっているなどアートな部分が秀でている人は、感性が豊か過ぎるあまり思い悩むこともあるだろう。
で、ジェニファー考えた。
わたしになにができる?
受付の台越しに話すのでは、コミュニケーション構築に限界がある。
もっと彼らの役に立つことはできないだろうか。
この受付カウンターを超えて、何か彼らの役に立つことがしたい!!!と思ったメンタルヘルスケアに興味を持った強いきっかけだった。
メンタルヘルスケアなら、心理士とかカウンセラーとかほかの道もあったろうに、ちょうどハンセン氏病のケアに一生をささげたクリスチャン看護師の本を読んで影響をうけてたこともあって
看護師になろうと決めた。 で、専門学校の受付をしながら夜間スクールに通ってまた受験勉強した。
ニガテな数学も、生物も、初心に帰って勉強した。
先生にとにかく素直についていったら、めちゃくちゃできるようになった。一般入試でも勝負できる実力はつけた。けど運よく面接と小論文だけの社会人入試で第一志望の看護学校に合格した。
かくいうじぇにふぁーも、社会への適応がかなり危ぶまれていた。←周囲も自分もそう思ってた。(あ、看護学校でも奇異なキャラとしてとんがってた。みんなに助けてもらって生き延びた。それはま別の記事で。)
なぜって劇団の時は本気でお金を稼げる舞台女優を目指して毎日8時間くらい
声楽、クラシックバレエ、ジャズダンス、タップダンス、芝居にいそしみ、それ以外の時間は生活するためにバイトをしたり、カラオケボックスで芝居のセリフを覚えたり楽譜や歌詞を確認したり。
劇団のレッスンのほかに、うまくなるために個人で声楽・ジャズダンス・クラシックバレエに通ってたからけっこう忙しかった。
おおよそ普通の大学生、会社員とはちがうことをしていた。
たまにしか行かないバイトでは、覚えられなくて失敗ばかり。変なおじさんにお尻を触られながら紅茶の入れ方とか指導受けたりした。
イタリアンレストランのバイトの時は、スパークリングワインをかっこつけて注ごうとしてお客さんにぶっかけるし、びびりすぎて、半年もいたのに注文さえ取れず、片づけ係で終わった。
でも、この専門学校に入れてもらって、周囲のあたたかい人たちのおかげで
書類の受け渡し、お茶出し←(最初はお茶も入れられなかった)、ハンコ押し、電話対応、PCスキル、一通り学ばせてもらって一応社会に適応することができたんだ。
だから
自分ができるから彼らを助けたいんじゃなくて
自分もほんとギリギリの人間だったから
社会不適合レッテルの人間だったけど
ちょっとした考え方のチェンジと、心がけで
人生が好転し始めたこと。
できることを一つ一つ、積み上げていって
たまに休んだりもして。
でも、今は自分が生きたいようにいきられるようになったことが実感としてあるから
こんなじぇにふぁーでも、人の役に立つことができるんだよーって勇気は与えられると思う。
じぇにふぁー見て、ああ自分もなにかできるかなーとか、やってみたかったことチャレンジしてみようかなーとか思ってくれたら、それ、最高にうれしい。
そんなこんなで
精神看護に興味を持ったのはこんな理由。
セロトニンに興味を持ったのは・・・
また次回!